烏山寺町の成り立ち
関東大震災の時に、浅草・本所・荒川・築地・麻布そして、新宿、渋谷など東京市内(当時)にあった寺が、震災によって鳥有と化し、復興のために区画整理がなされ移転を余儀なくされました。そしてこの地に移転を始めたのは、大正末年から昭和初期の頃でした。
当時の烏山の地域は、畑・山林などの荒地でしたが、まず道路が拡幅し、次々に新しい本堂、庫裡が新築され、境内は整備され、作庭がなされていきました。そして、今日歴代住職方の寺門復興に捧げた労苦は実り、樹木は大きく育ち、日本的な優美さを持つ寺院建築と調和して、いつしか「小京都」と言われるほどの緑と静寂の漂う街並みをつくりだしています。
寺町の自然
烏山は、日本で最初に住民自らの手で、地域の自然環境を保全していくことを宣言し「寺町の環境協定」を制定した町でもあります。この地は、春は桜、夏は緑、秋には鮮やかな紅葉、冬には鴨が飛来する緑と静寂の自然環境を形成しています。そして、これらの景観と環境は、周辺地域の環境向上と保全に少なからず貢献をしています。
烏山寺町 みどりのモデル地区指定について
「残された緑の保護と回復をはかり相互協力によって、豊かな住環境をつくることを目的とする」みどりのモデル地区協定は、そうした趣旨をもとに、昭和54年12月12日、世田谷区と烏山寺町との間に締結されたものです。この趣旨は、時代は変わっても変わらずに今日の寺町に受け継がれています。
烏山仏教会発行 烏山の寺町より