烏山寺町には、関東大震災の折に都内から移転してきた寺院が26ケ寺も立ち並び、世田谷の小京都と呼ばれています。
寺院一覧
| 1.妙高寺 | 2.多聞院 | 3.乗満寺 | 4.入楽寺 |
| 5.常栄寺 | 6.源正寺 | 7.幸龍寺 | 8.存明寺 |
| 9.稱往院 | 10.妙祐寺 | 11宗福寺 | 12.永隆寺 |
| 13.浄因寺 | 14.善行寺 | 15.萬福寺 | 16.妙善寺 |
| 17.妙寿寺 | 18.専光寺 | 19.永願寺 | 20.高源院 |
| 21.源良院 | 22.妙揚寺 | 23.玄照寺 | 24.常福寺 |
| 25.順正寺 | 26.西蓮寺 |
玄立山 妙高寺

中興の祖である首玄院日立上人によって、寛永二年(1625年)浅草今戸に開山した。その後天保の改革を行った水野忠邦を含めた幕府の名門、水野家の帰依を受け、江戸浅草に四千坪の地を寄附せられ堂塔完備し以来、代々木水野家の帰依を受けていた。震災後の昭和二年現地に移転。寺内には、尊皇の先覚者藤井右門の墓、日本画の速水御舟。今村紫紅、小村雪岱、金工の後藤家、漆芸家の川之辺一朝、そして水野家代々の墓に加え水野忠精、忠弘などの墓がある。
【宗派】日 蓮 宗 【本山】身延山 久遠寺
【住所】世田谷区北烏山6-23-1
多聞院

多聞院は歴世三百数十年ほど経った寺であり、もとは、新宿駅から程近い甲州街道に面した所にあった。昭和20年5月不幸にも太平洋戦争の戦火を浴びて、本堂など余さず灰に帰した。戦後二十四年に東京都が計画、実施した新宿駅周辺の復興を目指す区画整理事業の要請を受けて、現在の寺町に移転した。やがて寺檀の力を合わせて、29年末当所に本堂、庫裡を再建することができた。ここには天保八年のわずか一年間に飢餓によって亡くなった568人にのぼる犠牲者の石碑がある。
【宗派】真言宗豊山派
【本山】長谷寺(奈良県桜井市)
【住所】北烏山4-12-1
野篠山 乗満寺

中興の祖、明泉法師は林松寺を駿河に移し、さらに江戸車坂に堂宇を建立した。四世受学の代、林松寺を改め乗満寺と称した。乗満寺は、大正12年9月1日、関東大震災に遭い、本堂を含めすべて鳥有に帰した。その翌年の大正13年に寺城600坪を東京市(当時)に譲渡し、現在の地に移転した。乗満寺は幕臣関係の檀家が多かったといわれている。中には幕府政治の中枢にいた人物も数えられる。
【宗派】真宗大谷派【本山】東本願寺
【住所】世田谷区北烏山5-7-1
https://jyoumanji.tokyo/
平松山 入楽寺

順誓法師開基となり江戸日本橋平松町に一宇を建立、入楽寺と称した。順誓は俗姓、遠藤監物澄遠、以後十一代血脈相承現在に及んでいる。安永7年正月、江戸浅草松山町に移る。関東大震災の時に、寺の大部分を焼失しその後、昭和2年に墓地をまた翌年に本堂庫裡を建設し、現在に至っている。
【宗派】真宗大谷派 【本山】東本願寺
【住所】世田谷区北烏山5-7-1
鳥越山 常栄寺

当寺は江戸初期には浅草鳥越にあったが、浅草横山町に移転後、明暦3年正月(1657年)の大火などを経て築地へと移転した。大正12年の関東大震災により全焼し、翌13年に現在の寺町に移転した。常栄寺は、江戸初期の頃より三百数十年の歴史を有する。本堂には江戸期の作といわれる身丈一尺ほどの阿弥陀如来像が安置されている。墓地には江戸後期に活躍した画家の菊田伊洲(1852年歿)の礎石が残っている。
【宗派】浄土真宗 本願寺派
【本山】西本願寺
【住所】世田谷区北烏山4-13-1
http://joueiji.net/
弥勒山 源正寺

寺町通り3番のバス停そばにある当山は、建治3年釋貞圓により建立され、その後9世住職の釋秀山が明暦3年に築地に移転したと伝えられています。関東大震災後の区画整理により烏山に移転し、現在に至ります。寺宝は本堂玄関両脇にある天水桶です。江戸時代の鋳物師、釜七、釜六の製作品であり、戦時中の供出を免除され、今日も当山に残されており、参拝者の目印になっています。
【宗派】浄土真宗本願寺派
【本山】京都 西本願寺
【住所】北烏山4-14-1
妙祐山 幸龍寺

徳川家康公が浜松在住の頃、祖母正心院日幸尼が玄龍院日偆に帰依した際に、家康公が「しんどう」と云う所に天正19年(1591年)一寺を建立、妙祐山幸龍寺と号したのが当山の起源である。それ以来、寺は家康公と共に移建された。家康公が駿府に移れば寺も「さきのみや」に移り、江戸に入府されると神田湯島に移った。大正12年に現在の烏山に、書院、大玄関、鐘楼を構営し、戦後、慌廃した寺観を一新し、神殿造り構堂式本堂を建立した。
【宗派】日 蓮 宗
【本山】身延山久遠寺
【住所】北烏山5-8-1
桜田山 存明寺

当寺は、約五百有余年前、「後光明天皇」の御代(正保4年4月8日)に、現在の桜田門の所に酒井氏法名釈願龍法師によって創建された。その後、芝金杉に移り数度の類焼に遭い、明治31年に麻生富士見町(今の天現寺橋)に移転した。しかし、関東大震災の復興都市計画の為に境内地は、ほとんど道路に接収された。その為、昭和2年11月に現在の寺町に移転することになった。
【宗派】真宗大谷派
【本山】東本願寺
【住所】北烏山4-15-1
一心山稱往院 極楽寺

慶長元年丙申(1596年)浄土宗僧侶白蓮社白誉稱往上人、稱往院を江戸湯島に創建し、一心山稱往院極楽寺と号した。明暦3年の大火で寺は消失し、浅草芝崎村に移った。その後、関東大震災で御尊体は消失したが、当時の住職が如来の御仏頂尊を取り外し難を逃れた。脇士に観音、勢至の2菩薩を安置する。大正12年9月1日の関東大震災で堂宇すべて消失し、昭和2年8月に現在の地に移転した。名墓、宝井其角の墓と宝晋堂・句碑、蕎麦禁止の石碑などがある。
【宗派】浄 土 宗
【本山】知 恩 院
【住所】北烏山5-9-1
天護山 妙祐寺

当寺は、弘安9年(1286年)一遍上人建立から時宗であった。当時は、天護山円証寺と称していたが大永年間(1521~27年)に兵火の災を受けて廃絶した。その後、寛永2年(1625年)浄土真宗の僧、了頓が渋谷の土中より阿弥陀仏像を発見し、これを本尊として満歳山学恩寺と称した。寺では了頓を中興の開山とする。その後延宝5年(1677年)寺号を妙祐寺と改めた。昭和20年の世界大戦の際、戦火により全堂を消失し、現在地に昭和23、4年にかけて墓地を移転し現在に至っている。
【宗派】浄土真宗本願寺派
【本山】西本願寺
【住所】北烏山4-16-1
来迎山 宗福寺

当山の寺誌は、安政3年の火災により消失したため不詳である。東京市史稿・武蔵風土記等によると、開山は清蓮社浄誉秀公上人で、来迎山光明院宗福寺と称し、道灌山下新堀村の中央に位置した。開山上人の示寂は慶長6年10月7日とある。大正12年の関東大震災後、東京府都市計画法による道路拡張の為、墓地、本堂、庫裡等、全建造物が収用された。代替地を現在地にし、昭和3年2月に移転を開始し、その後本堂を新築し、庫裡山門墓地を移築し昭和4年3月完了した。
【宗派】浄土宗(巣立)
【住所】北烏山5-10-1
春陽山 永隆寺

開基利玄院日義上人は、家康の囲碁の師匠であったという。寺領を神田鍛冶橋に受け当山を建立した。寛永年間、谷中清水町に移転、更に元禄4年(1691年)、本所出村(後の大平町)に再移転した。この地は、地盤が低くしばしば、水害にあった。その際に古記録などを流失してしまう。その後、関東大震災後の昭和3年(1928年)に現在の地に移転した。当寺には、徳川家康公側室養珠院(お万の方)より頂いた大黒(石像)がある。
【宗派】法華宗(本門流)
【本山】本能寺(京都)
【住所】北烏山4-17-1
壽光山 浄因寺

正保3年(1646年)12月、元禄8年(1695年)2月の類焼により旧記録等が消失したため創設等は不詳。その後、天明元年(1781年)12月4日本堂再建し、また大正13年(1924年)本堂を麻布三河台よりこの地に移転。浄因寺はもともと福岡黒田藩士の菩提寺であった。そのため寺には、士族のものが多い。寺には、聖徳太子尊像、山号額字 寿光山が寺宝としてある。また、名墓記念碑として、旧福岡藩戊辰戦没戦病死者旌忠碑、浅見清次郎(彫刻家)、内藤鋠策(歌人)、安達潮花(安達流家元初代)などがある。
【宗派】浄土真宗本願寺派
【本山】西本願寺
【住所】北烏山5-11-1
定聚山 善行寺

寛永年間、浅草横山町に本願寺江戸別院の末寺として開山した。しかし、その後明暦の大火(振袖火事)により炎上した。その後、江戸別院とともに築地に移転した。、大正12年、関東大震災のため多大な被害を被り、昭和元年、築地より当時の北多摩郡千歳村(現座地である烏山)に移転、復興し、現在に至る。
【宗派】浄土真宗本願寺派
【本山】西本願寺
【住所】北烏山5-14-1
萬福寺

開基了信江戸浜松に創立、年次不詳寛永15年8月5日没。明暦年間に今の東京都中央区築地4丁目に移転。大正12年2月1日関東大震災により本堂庫裡その他を全て焼失。昭和3年2月3日、東京府知事の許可を得て現地、東京府北多摩郡千歳村烏山(現世田谷区北烏山)に移転した。寺町がつくられた昭和のはじめ頃は、付近に一帯が麦畑と雑木林ばかりであった。萬福寺の付近もむじなが頻繁に出没するほどの土地がらであった。世界中で高く評価されている版画家、川瀬巴水の墓がある。
【宗派】浄土真宗本願寺派
【本山】西本願寺
【住所】北烏山5-13-1
八丁山 妙善寺

妙善寺は、鎌倉時代の武将北条経時の家臣であったが、出家して親鸞の弟子となった菅原正円が、伊勢国安濃郡大別保村に草庵を建てたのが、始まりと伝えられる。その後同じ伊勢国の桑名郡蒔田村に移り、武蔵国豊島郡八丁堀に移転した。しかし、明暦3年(1657年)のいわゆる振袖火事により本堂その他を焼失したため、僅か50年でその地を離れ、築地(現在の築地本願寺の門前)に移転。さらに、昭和2年(1927年)、築地を離れ、現在の地に移転し今日に至っている。【著名人のお墓:為永春水】 11月3日報恩講法要。
【宗派】浄土真宗本願寺派
【本山】西本願寺
【住所】北烏山5-12-1
本覚山 妙寿寺

当山は、寛永8年開基日受上人が江戸谷中清水本町に、妙感寺と称し開創した。その後寛文2年上地となり、開山中興日崇上人等評議の結果、本所猿江村に移転、寺号を妙情寺とした。さらに、猿江稲荷神社の別当となり寺号を妙寿寺と改めた。その後、大正12年の関東大震災で、本尊祖師尊像を残して焼失。翌大正13年に当地に移転し、昭和2年寺観が整う。史跡としては、区史跡の心学者中澤道二墓所、関東大震災で穴のあいた、釜六・太田近江制作の梵鐘などがあり、また客殿は明治期鍋島候爵邸である。
【宗派】法華宗(本門流)
【住所】北烏山5-15-1
http://myojyuji.or.jp/
霊照山蓮池院 専光寺

当寺は、慶長9年甲辰年年(徳川家康時代)に草創された。開山は、貞蓮社隠譽上人専光和尚(慶長9年正月住職就任)である。当初品川にあったが、家康入国の時馬喰町に移り、明暦3年(1657年)大火の後、浅草新寺町に移転。その後文化3年(1806年)にも火災にあい記録が焼失した。明治以降の所在地は、浅草北松山町で、江戸時代の浅草新寺町にあたる。その後、大正12年9月の関東大震災により、本堂庫裡焼失し、区画整理のため昭和2年現在地に移った。寺には、喜多川歌麿「秋圓了教信士」の墓等がある。
【宗派】浄土宗(巣立)
【住所】北烏山4-28-1
横河山 永願寺

当山門末と開基・浄願は、越後高田の士分の身であったが出家し、東本願寺の門末となり、元和3年(1617年)江戸の神田に一寺を建立し、永願寺と称したと伝承されている。その後明和3年(1766年)に浅草清島町に寺門を移した。関東大震災の時、寺も鳥有に帰した。幸い本尊、阿弥陀如来像、太子七高僧絵像、及び過去帳は無事に今日に残っている。被災後、昭和11年(1936年)現在の地に移転を完了した。
【宗派】真宗大谷派
【本山】東本願寺
【住所】北烏山4-29-1
端泉山 高源院

開基頼元は久留米21万石の英主であったが、晩年菩提寺祥雲寺輪番怡渓大和尚の高徳を慕い、仏道に帰依し、藩地に一宇を建立し東林寺と称し、また江戸品川に一寺を創立、怡渓和尚を招いて開祖とした。これが高源院である。その後昭和11年当院復興計画の下、現在の地に移転。敷地内に一大泉地をなし、その中央に浮御堂を建立し、弁財天を奉安した。
【宗派】臨済宗大徳寺派
【本山】大徳寺(京都)
【住所】北烏山4-30-1
向旭山 源良院

当院の始めである浅草南元町の東光山良雲院西福寺は、開山真蓮社貞譽願故了傳上人の塔頭であった。万世2年(1658年)に神田山幡随院新知恩寺内に移ったが、元禄年中、文化3年と火災に遭い、詳しい記録もその際焼失した。現在の烏山に移転前は、浅草神吉町にあった。大正12年9月の関東大震災後、大正14、15年より移転を開始し、昭和7年に全ての移転を完了した。
【宗派】浄 土 宗
【住所】北烏山4-10-1
自然山 妙揚寺

当山は、もと下谷区谷中天王寺町芋坂にありました。昭和3(1928)年1月、国鉄の鉄道線路拡張のため、本堂、山門、墓地等を移転しました。開創は慶長17(1612)年7月と伝えられ、開山上人は、谷中長耀山尊重院感応寺第9世領玄院日長上人(1585-1651)の御母堂で、自然院妙揚法尼です。元禄時代に徳川幕府は日蓮宗の不受不施派を禁圧し、感応寺は天台宗となったことから、元禄12年3月身延山久遠寺の直末となりました。日長上人の建立された「慈父常圓霊位、慈母自然院妙揚」の墓碑が目黒区八雲の常円寺に安置されています。
【宗派】日 蓮 宗
【本山】身延山久遠寺
【住所】北烏山4-9-1
常徳山 玄照寺

慶長19年小湊山誕生寺第18世忠禅院日延上人の開基により、芝白金に創建する。寺は当初、碑文谷法華寺の末寺であったが、元禄2年、当山第3世恵眼院日珖上人の代に御公儀より身延山久遠寺直末たることを申しつけられる。本尊日蓮大菩薩は、雨乞いの祖師として知られ農家の人々や女人の信仰が厚い。
【宗派】日 蓮 宗
【本山】身延山久遠寺
【住所】北烏山4-21-1
法立山 常福寺

当山は、法立山常福寺と称し、永正8年8月(1511年)浄徳院日上人により浅草新鳥越町の地に創建される。のちに江戸幕府の宗教政策により浅草吉野町(現在の台東区今戸)に移り、以来教化に努めてきたが、大正12年9月の関東大震災により、寺宝等ことごとく全焼してしまう。昭和3年3月都市計画により当地に移転再建され現在に至っている。
【宗派】顕本法華宗【本山】妙満寺(京都)
【住所】北烏山2-8-1
http://www.joufukuji.com/
白鳥山 西蓮寺

当寺の創建は慶長2年(1597年)。開基は、宗誓上人という武家より出家した方です。当初、江戸桜田(現在の桜田門)前辺に一宇を創建。その後、西久保天徳寺門前(現在の虎ノ門)に移転。明暦元年(1655年)には麻布領三田村(現在の三田)に移転。内務省都市計画事業の為、道路に敷地の大半を収用されることとなり、昭和14年(1939年)現在地、烏山に移転。
築地塀をめぐらせた山門と松の大樹が落ち着いた雰囲気を与えています。
【宗派】真宗大谷派
【本山】真宗本廟(京都 東本願寺)
【住所】北烏山2-7-1
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